墨繪ができるまで

私の両親は洋菓子製造販売とレストラン業を経営しており、私も大学卒業後この会社に入社、

『モンモランシー』・ブルガリアレストラン『バルカン』の経営見習いを経て、

メトロ食堂街の店舗のみを分離独立した会社の経営者になりました。

 

私が40代だったころ、仕事と家事と育児のあいまに、

自宅近くのビストロで過ごすひとときに、大きなやすらぎと活力をいただきました。

 

男性と若者のためのこんなお店はたくさんあるのに、女性のお店はなぜ少ないのか。

女性も仕事や家事に追われる日常の中で、ホッとくつろげる飲食店が欲しいはず。

 

おんなの息抜き。

ちょっとグルメ。

楽しいおしゃべり。

また来たいねと思ってもらえる。

 

“こんな店を造ろう”、これが墨繪(すみのえ)の出発でした。

1983年のことです。

 

新宿西口の駅近く。大河のような人の流れ。

その川辺の小さなくぼみのように、『ホッとするひとときの店』でありたい。

 

そして、書と画とデザインを手がけるクリエーターの高橋敏彦さんに出会いました。

話し合いを重ね、私の意図を大きくふくらませた店舗が出来上がりました。

 

  • 良寛さまの詩をテーマにした高橋敏彦さんの暖かい書画。だから、店の名は“墨繪”(すみのえ)。
  • 季節の木や花をたくさん活ける。
  • 女性のお客さまがエレガントに見える照明と雰囲気。
  • 地中海料理(当時はトレンディーでした)とデザート。
  • 料理には自家製のフランスパンと無塩バターを添える(ご飯とパンはおいしくなければいけないという信念から)。

 

こんな店になって、ほとんどそのまま時が経ちました。

 

軽い食事やデザート・コーヒーのメニューでスタートしましたが、

予想外に料理のご注文が多く、開店5年後に厨房を拡大し、

少しずつフランス料理風に変え、季節に沿ったメニューにしました。

 

この料理は前菜・メイン料理・デザート・コーヒーでひとつの食事とも言える料理です。

前菜ひとつだけ、メイン料理だけでお帰りのお客さまが、

納得されないご様子でご不満そうに支払いをされる。こころが痛みました。

考えた末に前菜・メイン・デザート、それぞれの料理群からどれでも選べて、コースならおトク。

飲食店でおなじみのセットメニュー発想で、コースでのお食事をおすすめしてきました。

 

ただ、こんなにたくさんのお客さまの店でコースの提供をするため、

料理をお待たせしたり、同じテーブルなのに料理の出る時間がまちまちになったり。

墨繪(すみのえ)の大きな課題です。

 

料理にそえたフランスパン。開店時には焼成量の少ないオーブンで、

お食事に添える本数プラスアルファしか焼けませんでした。

レストランに併設していたおにぎり・惣菜売店に

そのプラスアルファ分のフランスパンを並べるとすぐに行列ができて、

買えなかったお客さまに叱られました。

 

若いころ仕事を共にして、

その後ブロートハイムという素晴らしいパン店を創りあげた

明石克彦さんのところへ相談に伺ったところ、

「城さん、パン屋さんになりませんか?僕がすべて教えます」

と驚きの提案をいただきました。

 

その時、ドイツやフランス製の、小スペースでたくさん焼けるオーブンがあること、

フランスパンの生地にフルーツをいろいろと練りこんで、

たくさんのバリエーションを造れることを知りました。

“私の能力と経験でパン屋など…”、ためらいつつも

明石さんのパンへの熱い思いが乗り移って決断。

製パン設備を整えてパン屋開店。

 

フランスパンとそのバリエーションしか作れないので、当然その専門店でした。

これがそのまま墨繪パンの特長になりました。

始めるからには手をぬかない、と思いつめて、おいしいパン屋にするために取り組みました。

明石さんのご厚意に応えるためにも。

 

墨繪パンの原点は、

 

  • パンを作るために必要な最小限の素材を使い、発酵に時間をかけることにより小麦の風味をひきだす。昔ながらのパン作り。
  • 少量ずつ、数回に分けて焼き、なるべく焼きたてのパンをお買い上げいただく。

 

です。

 

その後、客席を削ったり、地下に小さなスペースを頂いたりして、

少しずつパン工房を増やして、今の商品群になりました。

パン売店の販売スペースがあまりに狭く、お客さまをお待たせするので、

食堂街の中にもうひとつの売店を作り、同じ商品を販売しています。

 

パン工房は、小さいスペースが3ヶ所。

非効率ですが、ひとりで粉こねから発酵・成型・焼成・店出しまでを行うことによって、

私が作ったパンという愛情と責任が生まれる。この愛情と責任と自信を大切にしています。

 

レストランとパン。それぞれの墨繪で大切にしていることは、

 

  • 季節ごとに、あるいは毎日、商品を新しく考えること。

 

お客さまに楽しんでいただくためにはもちろんですが、

スタッフ一同が新鮮な気持ちと緊張感を持って仕事に向きあえるからでもあります。

 

今日ご来店のお客さまに喜んでいただきたい。

またご来店いただきたい。

今度はお友達やご家族を誘っておいでいただけたら、本当に嬉しい。

そのためにはどうしたら良いのだろう。

 

このことだけを考え続けて。

課題は多く、課題をこなすことに夢中な毎日です。

 

 

 

新宿西口再開発に伴う取り壊しのため、2020年9月、メトロ食堂街は54年の歴史に幕を閉じることとなり、

店名を墨繪にした1983年から37年間、たくさんの思い出やエピソードが詰まった当店も、

メトロ食堂街から新宿センタービルに移転しました。
奇しくも新型コロナウィルスが世界的に影響し始めた時期でもあり、様々な経験をいたしました。

 

そして、
苦渋の決断ではありましたが、2023年12月24日、新宿センタービルでの営業終了を機に、

レストランとしての営業を終了することにいたしました。

たくさんの素晴らしいお客さまとスタッフに恵まれた幸せな店でした。

永年のご愛顧を賜り心よりお礼を申し上げます。

 

レストランから生まれて、レストランより大きく成長した【パン屋 墨繪】、

現在、拠点は新宿センタービルから高円寺へ移し、

豪徳寺店舗と新宿駅近辺にパン売店2店舗の計4店舗体制です。

 

レストランは営業終了しましたが、高円寺店で3坪の小さなイートインスペースをオープンいたしました。

 

パン製造と販売、客席サービスや調理、パン運搬、そして事務や経理、広告宣伝担当のスタッフたち。
彼らの力を中心に、
日々新た、“昨日より善い店”にしてゆきたいと思います。

 

 

墨繪 城 恭子